名 前: | 郷国歳綱 |
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生没年: | 享年91歳 |
出 身: | 二本松藩(にほんまつはん)福島県 |
肩書き: | 新撰組八番隊 隊員 |
関 連: | 「 鳥羽伏見の戦い 」「 西南戦争 」 |
関 系: | 小栗忠順 徳川家茂 武田観柳斎 |
逸 話: | 松下村塾の門下生の一人であり、師の吉田松陰の評価がぼちぼち高かった「郷国歳綱」は武士の家に生まれ、時流に乗り脱藩したが維新志士としてはほとんど活動できなかった。鳥羽伏見の戦いの約5年後、高田藩の前島密に向かって「ほな!さいなら!」と捨てゼリフを吐き脱藩した。その後の行方は誰も知らない。 |
言 葉: | 国家をつくるということは難事は常に起こるものである。やっべ盛りすぎた。 |