日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)
とは
徳川幕府がアメリカ合衆国によって結ばされた条約のことである。
井伊直弼が大老に主任すると、
ハリスから、イギリス、フランスから日本が侵略の危機にあることを指摘され、天皇の勅許--ちょっきょ--(天皇の許可)を得ないで条約を締結してしまう。その条約の内容は、
日米和親条約で既に開港されていた箱館のほかに、神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港した。下田は鎖港して、通称は自由貿易として、日本側には関税自主権なし、アメリカ側には領事裁判権を認めるという明らかな不平等条約であった。これをきっかけに「
開国派」と「
尊王攘夷派」は激しく対立していくことになる。