大政奉還(たいせいほうかん)
は政権を幕府から
朝廷に返上する意味で、幕府の中にも「大政を奉還して一大名に戻そう」という考えを持つ者がいた。
勝海舟や
大久保一翁なども早い段階で、政権を返還すること提案していたが、当時はその発想が奇抜すぎて支持者が少数だった為、幕府側も
大政奉還をくすぶっていた。
その後、
坂本龍馬の考え出した「
船中八策」という新政府建設の方針は、土佐藩の
後藤象二郎が加筆した「
大政奉還建白書」として土佐藩主の
山内容堂(やまうちようどう)へ報告され幕府老中の板倉勝静(いたくらかつきよ)に提出された。
そして1867年10月・第15代将軍の
徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は、
大政奉還の提案を受け入れた。この決断は約260年間続いた
徳川幕府を事実上ほろぼすことになった。