鎖国と開国(さこくとかいこく)
1543年にポルトガル船が種子島に漂流した頃から日本の大名たちは外国との交流を行っていた。また徳川家康が江戸幕府を開いた時も外国と交流していたが、大名が外国との貿易で財力をつけることを防ぐのと、キリスト教が日本国に広まることを嫌ったこともあり、3代目将軍の徳川家光の時代に外国船が日本に入ることを禁止したことが
鎖国の始まりといえるが、キリスト教の関係が薄い中国とオランダに限り長崎の出島に入港することを許可していた。1842年頃中国がイギリスに敗れたアヘン戦争で幕府は西洋諸国の軍事力の強さを知ることになり。西洋諸国の情勢を学ぶべきという風潮が広まった頃オランダから「アメリカが
開国を求めている」という内容の
知らせが幕府に伝えられるが、対応策がないままアメリカから
ペリー艦隊を迎えることになる。結局1854年に
日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結び下田と函館を開港。1858年に
日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょう)を結び、イギリス、オランダ、フランス、ロシアと同じ内容の条件を結び、長崎、函館、横浜の港が開港して事実上、約200年以上続いた
鎖国が終ることになった。