第一次長州征伐(だいいちじちょうしゅうせいばつ)
とは、1864年に長州藩が起こした
蛤御門の変(
禁門の変)が原因で孝明天皇は一橋慶喜に長州征伐を命じたことである。
徳川幕府と諸藩は長州藩を一気に滅亡させようとして幕府軍総勢15万の兵を率いた。
しかし、長州藩は
蛤御門の変の敗戦で、勢力が衰えていて戦う軍力も決意もなかった。この状況を見極めた薩摩藩の
西郷隆盛は、幕府軍と長州藩を全く戦わせなくさせることなく交渉を成功させた。西郷の狙いは、薩摩藩が政権の主導権を握ることだった。そしてこの一件で西郷政治力の評価が一気に上がった。